柿本人麻呂の泣涙哀慟歌はまだ終わらない。愛しい妻を失った人麻呂を失った哀しみは、長歌一首・短歌二首にはき出したところで止むことを知らなかったのか、彼はさらに長大な歌をものする。その歌を紹介しようと思うが、今回も前回に倣い、またその大筋を物語風に示してみようと思う。
いつまでもこの世の存在だと思っていたあの頃、「走り出の堤」のそびえ立つ槻木を、私たち二人は手を取り合っていつも見ていた。
その槻木は四方にその枝を伸ばし、春には沢山の若々しい葉を茂らせていたものだ。私たちはその葉を折り取って上にかざしては、互いの長寿を祈ったものだ。そして、その祈りの通り、いついつまでも二人共に暮らして行こうと楽しみにしていた妻だったというのに・・・・
この世の無常には背くことはできなかったのか、かぎろいが燃え立つ荒野に、白い布に包まれ、鳥たちが朝早くその巣から飛び立つように何処かへ行ってしまった。夕陽が山々の間にその姿を隠すかのように、いずこへか言ってしまった妻よ・・・
その妻が形見のように残したおさなごは母を求め泣き叫ぶ。とはいえ、この私は乳を含ませてあげることも出来ない・・・・かといって、放ってもおけないのでしがない男の身ながらその子をわきに抱えてながら、妻と二人寝た離れの中で、昼はその寂しさにうちひしがれながら過ごし、夜は・・・しきりにため息ばかり吐いて過ごす。
どうしようもなく、逢うことかなわぬ妻を恋い慕っているそんな哀れな私に、とある知人が、「お前の妻をはがいの山でみたよ。」というのでまさかとは思いながら、万に一つのことがあるのではと、その一言にすがるように険しい山道、大きな岩根を超えて私ははがいの山をさまよい歩いた。
・・・・しかし・・・・
それは、やはり甲斐のないこと・・・・
少しもいいことなんてなかった。私がもしや今も何処かで・・・と思う妻が・・・その姿が、ほのかにさえも見ることが出来なかったのだから・・・・

